| 更新: 2010-07-05 |
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FM放送を活用してカンボジアの
少数民族の生活改善を
ラタナキリ州で、FMラジオ配布支援
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本年5月、ユネスコカンボジアと情報省との共同事業として、少数民族の村々にラジオを配布。この事業は、NTTとNTTコムウェア社の資金支援により行いました。
(写真:ラジオを配布した村で、説明に聞き入る村人たち)
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先住の少数民族の生活改善と経済格差是正を
カンボジアは面積18.1万平方km(日本の約2分の1)、人口13.8百万人(2005年)、公用語はクメール語、仏教徒(上座部仏教)が約95%で、民族はクメール人(カンボジア人)が全体の90%を占めています。
人口の約4%を占める先住の少数民族はそれぞれが固有の言語を有しています。しかし、文字を持たず、公用語のクメール語も話さないことから、クメール語による教育・文化活動・開発などの国の政策から取り残されています。
BHNは当初、公用語を話さない人々が、HIV・人身売買・土地問題・麻薬などの喫緊の課題について教育を受ける機会が少ない現状を打開するため、FMラジオ局を設置し、少数民族の言語で教育プログラムを放送するとともに各村にラジオを配布する支援策を情報省、ユネスコに提案し、三者で実現に向けて検討してまいりました。その結果、放送局はユネスコが設置することになり、すでに少数民族向けの番組が毎日15分放送されています。
BHNはこの事業の一環として、先住民の7つの少数民族が60%以上を占めるラタナキリ州(北はラオス、東はベトナムに接する奥地)で、ラジオ100台を配布する事業を担当しました。
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| 電気がない村に配布するラジオは10cm四方の太陽電池と手回し式発電機が付いたもので、グループで聴取できます。ラジオは村長の管理の下で、集会場などで活用されることになります。 |
情報省職員、FM放送局の職員などの協力を得て配布するラジオに提供者・受領者のシールを貼りました。 |
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5月2日から13日まで、岩噌弘三理事と松下孝弟参与が出張して、 ラタナキリ州州都バンルンで情報省に贈呈式を実施後、100台の ラジオの配布に取りかかりました。 |
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| 情報大臣とFM放送局を視察。スタジオは8畳ほどで、テーブルの上にパソコン・ミキサー・マイクなどが置いてありました。隣室には1KWの送信機が、別の部屋では放送用のプログラムを編集していました。アンテナ高は情報省の中庭に設置された支線式鉄塔上35m。周波数は89.5MHzです。 |
贈呈式には情報大臣(右から5人目)、ラタナキリ州知事(右から2人目)、ユネスコカンボジア神内所長(右から6人目)、ユネスコで本事業を担当するイザベルさん(左から4人目)他数十名が出席して、盛大に行われました。 |
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バンルンは首都プノンペンから約470Km のところにあり、車で10時間もかかります。首都から340km先の道路は舗装工事中でしかも雨季のため、所々がぬかるみで大変な旅となりました。道幅は狭く、小さい川があり、落ちてしまうのではないかと思うような木の橋をおっかなびっくり渡りました。 |
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| 首都プノンペンから舗装道路を約340Km余り走ってストゥントレンという街の手前で右折します。この先約120kmが舗装のない難所でした。 |
少数民族の村 |
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| 民族によって、家屋の形が異なります。 |
ラタナキリ州では、今でも焼畑農業が行われています。 |
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各村を訪問し、ラジオを直接手渡しで配布
ラジオを配布したのは、ユネスコがバンルンに建設したFM放送局から半径約40キロ メートルの範囲内にある村です。この範囲内では、補助の延長アンテナを使用すれば、バンルン市内の送信出力1kwの放送が受信できます。
放送局からは、毎日15分ずつ、クメール語の番組の間に、 ユネスコが作成した4つの少数民族の言語によるクメール語講座や保健衛生などの番組が放送されています。
一行は4日間かけて、46の少数民族の村々を回り、ラジオを1台ずつ直接配布しました。また20台はユネスコの紹介でこの地域で10の学校建設を行うNGOに寄贈、残りの34台は、情報省ラタナキリ駐在局が引き続き配布を行い、5月末に 終了しました。
一行が村に到着すると、小さな子供と女性たちが次々と集まって来ました。人々の中に男性が見当たらないのは、雨季の5月は、ほとんどの男は畑に出ているからです。子供がとても多いのには驚かされました。
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| 配布した村のほとんどには電気がなく、発動発電機がある所もごく一部 。太陽電池による充電方法を指導しているところです。 |
手回しでも発電ができます |
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| ラジオの音楽番組などを聴くのは初めてという様子の人ばかりでした。手回しの発電機を回し、放送の受信が始まると一斉に笑顔を見せてくれました。 |
学校にもラジオを配布しました。授業中に訪問した学校では、 時計の勉強していました。 |
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プノンペンで岩噌理事の旧知に面会
行きは期待と不安で緊張していたBHNの二人も、帰りはメコン川に沿って水田の広がる景色も見えて、緑と水の豊かなカンボジアを実感することができました。
プノンペンでは、お世話になった郵電省電気通信庁長官のラール・ナラット氏を訪問しました。長官は、岩噌理事が45年前、現在のJICAの前身であるOTCA(海外技術協力事業団)から、当時日本が加盟していたコロンボ計画の専門家としてカンボジアに派遣され、郵電省に勤務していたときに指導した若い技術者10名余りの中の1人でした。その教え子たちがポルポト政権下で命を失った中で、長官はただ1人犠牲を免れた方です。
お互いに会うのを楽しみにしていて、懐かしそうに旧交を温めておられたとのことでした。
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| 1966年11月2日に撮影した写真。右から2人目の男性がラール・ナラット氏。 |
ラール・ナリット氏を挟んで、郵電庁のアドバイザーとして赴任されているNTTコミュニケーションズOBの山下氏(左端)と岩噌理事 |
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