回想集No.3:林 紘一郎

私が垣間見た旧ワルシャワ条約機構加盟国

情報セキュリティ大学院大学 名誉教授(BHN顧問)林 紘一郎

私は、BHNの人材育成プログラムには開設当初から講師として参加し、現在も若干のお手伝いをしています。しかし、BHN事業の中核である国際支援プロジェクトに関係したのは、ウズベキスタンの遠隔医療システムの提案だけで、不幸にして実現に至らなかったこともあり、多くを語るだけの知見を持っていません。

ただ個人的には、2000年という時点でのウズベキスタン訪問は、とても貴重な体験でした。ソ連邦の崩壊から10年未満の「過渡期の政治・経済システム」を垣間見る、絶好の機会だったからです。遠隔医療システムの導入に前向きな医師や厚生省の担当者と、専門知識がないまま、決定権を譲らない共産党の流れを引き継いだ高級官僚間の確執。中央の意思決定と現場の生の要望の乖離等、西側諸国でもよくある問題とも言えますが、そこに絶対主義国家に特有の権威主義・イデオロギー優先の弊害を感じたものです。


旧ワルシャワ条約機構加盟国訪問の経験には、チャウシェスク政権末期のルーマニア訪問も含まれています。電電公社時代から、社員を在外公館で実習訓練してもらう仕組みがあり、ルーマニアに派遣したA君が3年目に入るというので、職場環境を知る意味でフランスに行く用事のついでに大使館を訪問したのです。ところが事前に電話し、周りに聞いて回ったところ、ルーマニア勤務は想像以上に厳しいという情報が入ってきました。そして現地に行ってみると、「聞きしに勝る」とは、まさにこの状況を言うのだと分かりました。

まず驚いたのが、ブカレスト空港に着いて入国カウンターに寄る前に自動小銃を持った兵士が「どこに泊まるのか」と聞いてくるのです。西側の客が止まるホテルは1つしかないので、その名を告げるとリストと照合して「よし前へ」と言われました。その後A君から聞いた情報は、今でも忘れられません。外交官しか入れないスーパーでも肉はめったに手に入らない。肉等を買うため、館員は交代制でウイーンまで買い出しに行く。缶詰が腐る(真空技術が未熟なため)。大使は別荘を持っているが、庭で鶏を飼い、卵を大使館員の蛋白源としている。冬場に暖房が長期に使えなくなって、厚着をしてベッドに入るしかない、等々。これが大使館員の扱いかと驚くことばかりでした。


また、ソ連邦崩壊後の援助のあり方を探るべく、旧郵政省が東欧派遣団を組織したので、これに無理を言って参加させてもらい、ポーランドとハンガリーを訪問しました。ベルリンでの教訓を生かして、両国の電気通信事業の発展に何らかの貢献ができないかと働きかけましたが、成果はほとんどありませんでした。当方の力不足が最大の原因でしょうが、先方からも、あふれ出るような熱意が感じられなかった、というのが正直な感想です。

そこで、またベルリンでの経験を思い出しました。ベルリン在住の友人、ユルゲンのアレンジで思った以上の成果があったことに満足しつつ、ベルリンを発つ日の朝食を一緒に取ることになりました。彼が2人の娘さんと一緒に現れたので、こちらはアレンジのお礼として、朝食代を払おうとしたら、ユルゲンが「もう済んだよ」というのです。それでは困ります。初級会話程度のドイツ語と、通じそうにない英語を使って「私が支払えるよう変更して欲しい」と繰り返したものの、ウェイターはアクションを取るでもなく「もう処理してしまった」と繰り返すだけ。困った表情の私にユルゲンが言った言葉が忘れられません。「彼は東ベルリンから来たので、そんな面倒なことはしないよ」。


思えば、ベルリンの壁と旧ソ連邦の崩壊からの10年ほどは、当時としては疾風怒濤の時代で、こんな混乱はもう二度とないだろうとさえ思えました。しかし本稿を執筆している2022年の春は、ロシアによる予想外のウクライナ侵攻と、国際法違反だけでなく人道にもとる数々の残虐行為により、心穏やかに語ることが困難なほど荒々しく揺れています。

しかし、そのような時だからこそ、事件や事態の背後にあるものは何なのか、しかと見つめ直すことが必要かもしれないと思って、この駄文を綴りました。いつも以上に乱文になっていたら、お許しください。

 

 

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