12月:宮城県東松島市における被災者の地域コミュニティ支援事業
2013年1月22日(火)17:09



12月になり、寒さも一段と厳しくなり雪がちらつく日も多くなりました。
師走というだけあり、日々の生活も慌しくなり、街中もクリスマス、お正月の準備と賑やかになりました。被災地を元気にという思いから、イルミネーションやクリスマスイベントが各地で行われました。
今月は当会の活動の中から、地域に開放した事務所の様子と「東松島の歴史をつなぎ・託すプロジェクト」(仮称)について報告致します。
事務所の開放 * * * *
事務所開放は、2ヵ月目に入りました。口コミ等で広がって、少しずつ来訪者が増えています。
今月は、週3回、定期的に来ている4名の他に宮戸島、ひびき工業団地、グリーンタウン仮設住宅団地から、5名の方が足を運んで下さいました。仮設住宅集会所で行った年賀状作成イベントの際に、事務所の開放を伝え、気軽に立ち寄っていただくよう声掛けした甲斐がありました。
事務所に来て、パソコンで文字入力の練習やインターネット検索を、お互いに教え合いながら、楽しんで行かれます。初めは、インターネットなんて出来ないと敬遠していた方も、みんなで始めれば怖くない!という雰囲気に誘われている様子です。疑問に思ったこと調べたいことが、インターネットですぐに調べられる面白さを体感されたようです。
今が旬の大根、白菜のレシピを検索し、新たな発見をしたり、それぞれの家庭の自慢の料理を教え合うこともあります。パソコンを使うだけでなく、会話も楽しむ時間となっていました。
来訪者の中に、震災前まで現役で事務職をこなしていたという70代女性の方がいます。その方は、50代の時に、仕事のためにパソコンを独学で勉強されたそうです。
そんな話を聞き、パソコンを始めたばかりの40、50代の方も自分達もまだまだこれからだ、諦めずやってみようという気持になったようです。ここが地域の皆さんの新しい出会いの場となるよう、皆さんと一緒に育てていきたいと思います。
東松島の歴史をつなぎ・託す * * * *
東松島市も、海岸沿い一体が津波の被害を受けて、美しい松林や史跡が豊富な地区が壊滅的な被害を受けました。私たちは今、東松島市の名所旧跡や魅力を日本中の皆さんにインターネットを通じて知っていただくとともに、次世代につなぎ・託すための取り組みを始めています。
今は、来年3月の本の完成を目差して、名所旧跡の地図の作成、関係者や協力者、資料探しを行っています。幸い、合併前の矢本町と鳴瀬町が克明に記録された郷土史が編纂されていることがわかりました。また、昭和62年(1987年)5月18年間にわたり、合併前の矢本町が発効した「広報やもと」に掲載された「やもと訪ねある記」などの資料が残されていることが分かりました。
そして、「やもと訪ねある記」の約8割を執筆された方が健在で、協力を快諾していただいています。更に、仮設住宅に避難されている年輩者の中にも歴史を知る方が多数いらっしゃいます。
しかし、この度の震災で失ったものも多く、また、「やもと訪ねある記」の主筆者の中にもすでに亡くなられた方が多いことがわかり、それが私たちの背中を押してくれています。これから少しずつ、地元の方々と一緒に、この町の魅力の紹介を始めてみたいと思います。
東松島クイズ * * * *
ここで、皆様に一つクイズを差し上げます。
広い日本の中で、東松島にも日本で一番がいくつかあります。市の中心部に位置するJR仙石線東矢本駅も、日本で一番の駅なのです。さて、ここは日本の何でいちばんなのでしょうか。
この一番は、事務所近くにある仮設住宅にお住いの方に教えていただきました。
正解は1月のご報告で発表します。
★ 東日本大震災被災者支援活動指定寄附金の『収支報告書』はこちらをご覧ください。
>>11月の東松島支援事業の報告はこちら
石巻周辺被災者支援事業担当