東日本大震災から15年 ~一部の震災遺構、記念碑、施設などの現況~

2026年4月24日(金)11:11

 

BHN宮城事務所 山崎 信哉さんからの現地レポートをお届けします。

BHN宮城事務所が2026年4月1日から待機になることから、2026年3月23日(月)に石巻エリアの震災遺構・災害記念碑・復興施設などを、BHN宮城事務所の仲間(石垣 正一所長、丹野 あきゑ氏、生良志 みきゑ氏)3人と山崎 信哉の4名で視察に出かけました。

最初に訪れた宮城県石巻市北上町、北上地区高台「にっこりサンパーク」には、当時の被災者の状況・心情等のコメント付きの写真パネルが数十枚展示されており、一つ一つを注視・熟読して、改めて適切・迅速な避難行動の大切さを胸に刻み、犠牲者に合掌。この日の復興住宅地内は閑散としていました。

 

宮城県石巻市北上町、北上地区高台「にっこりサンパーク」
~被災者の状況・心情などのコメント付きの写真パネル~
(2026年3月23日撮影)

 

次に、新北上大橋を渡り対岸の「大川小学校跡」に向かいました。ここでは児童108人中74人と教職員10人が巨大津波犠牲者になっています。この日、小さな団体一組だけが解説者の言葉に耳を傾けていましたが、15年の年月を経て遺構の至るところに損傷が目立ち、管理には細心の注意が必要であると痛感させられました。

また、「われ等いま、今日の日の歴史を刻む」、「われ等こそ、新しい未来を拓く」と歌い込まれた校歌の石碑を見て、元気な声で歌っていただろうと、その姿を思い浮かべ、「歴史・未来」が断たれた現実に深い悲しみが湧き、胸を締め付けられる思いがしました。

 

石巻市立大川小学校閉校記念碑
(2026年3月23日撮影)

 

続いて、釜谷峠をこえて雄勝町に向かいました。震災前、1,600世帯、4,300人ほどが暮らしていた雄勝町は、最大15メートルを超える津波で、約250人の犠牲と80%以上の建物流出・壊滅の甚大な被害があり、雄勝地区(雄勝町雄勝)は住居建築規制により人家はなく、高さ10m弱の防潮堤が全長3.5㎞に築かれて海が見えない状況でした。4カ月前の人口調査(2025年11月30日時点)では、565世帯、972人と人口は激減しています。

石巻市立雄勝病院は入院患者全員40名を含む医療関係者等、64名が犠牲となり、雄勝病院跡地は「慰霊の森」となり、慰霊碑が建立されました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、関係者に想いを巡らせながら合掌しました。道の駅「硯上の里おがつ」内の「観光物産交流館」で生わかめ等の海産物を買い求めました。

 

石巻市立雄勝病院跡地「慰霊の森」
BHN宮城事務所 石垣 正一所長、丹野 あきゑ氏、生良志 みきゑ氏
後方には、高くて長い防潮堤が続き、海は見えません。
(2026年3月23日撮影)

 

次いで、女川町に向かう。途中で出島大橋(2024年12月開通)からの景観を愛でつつ、出島港で小休憩し、峠道国道398号線で昼時に女川に着きました。目指す店は月曜日定休だったので地元市場ハマテラス内の店で海鮮丼を食べました。

女川町は震災前の住宅総数4,411棟の内約90%の3,934棟が被害、人口10,014人の内8.3%の827人が犠牲となり、建造物6,511棟のうち87%余りの5,665棟の破壊、被災地最大の被災率で壊滅的な被害でした。

鉄筋2階建ての「旧女川交番」は、津波の引き波で基礎杭が抜かれて横転し(日本初)、津波の巨大なエネルギーを象徴するものでした。周辺の通路には被災時の対応・復興街づくり活動等での官民協働状況の紹介パネルが展示されています。

 

鉄筋2階建ての「旧女川交番」
津波の引き波で基礎杭が抜かれて横転
(2026年3月23日撮影)

 

海抜16mの高台に立つ旧女川町立病院は高さ17.6mの津波に襲われて1階は浸水、医療機器・電子カルテ・医薬品等の壊滅的な被害を受けました。その後、介護老人保健施設と保健センターを併せ「女川町地域医療センター」として医療・介護・保険・福祉の拠点としての体制は整いましたが、医師不足や運営に関わる要因である人口減少・少子高齢化の課題を抱えています。

2026年3月31日現在、女川町では世帯3,035世帯(震災前比68.8%)、人口5,658人(同56.5%)で、大幅な人口減少を前提に、 (1)コンパクトシティ形成(居住・商業地域の集約等)、 (2)関係(交流)人口の創出や人口流出防止と定住促進(お試し移住プログラム、若者起業・移住促進支援強化、イベント企画で女川ファンや地元民の活性化等)、(3)地域産業再建と担い手確保(水産業の再生と新規就業の支援)、(4)教育・子育て支援(特色ある教育環境の整備と地域全体が子育てに関わる「女川教育」推進)等で、「賑わいと活力を維持し続けられる町」を目指し、地方のあり方の新しいモデルを確立しようとしています。

「女川町地域医療センター」は数多くの課題を抱えながらも、リニューアルオープンから15年経過した今(この3月)、津波の浸水想定区域内に位置・建物老朽化・施設機能の刷新等々の観点から、移転・再建を前向きに検討していると町議会で須田町長が発表したことには、発災当時の庁舎流失の中で救援活動に当たった公民協働の力強さを感じました。

 

海抜16mの高台に立つ、女川町地域医療センター

 

最後に、石巻市内「仮設大橋団地跡地」を訪れました。ここは旧北上川の右岸に位置し、県有地・市有地が隣接していて、県有地全部と市有地一部分に被災直後に仮設住宅が設置され、2011年4月と6月に第一次・第二次の入居がありました。

発災直後はこの市有地部分の一部で自衛隊が旧北上川の水を利用しての大規模仮設浴場を設置し、バス送迎等で被災者を支援したが8月に撤収した後、9月にかけて追加の仮設住宅が建設され、第三次入居がありました。

最大の入居時期には468世帯(仮設大橋団地440世帯、仮設大橋中央団地28世帯)、1,150人が暮らしていました。筆者は2011年10月16日~2017年4月30日の約5年半自治会長として活動しましたが、2団地を合併した自治会の設立・運営・解散の経緯や課題対応等のあらましについては、これまでBHNテレコム支援協議会の活動報告の中で詳しく記述していますので、是非、ご参照ください。

仮設団地も、それぞれの歴史を閉じ、2020年3月時点で石巻市内に在った仮設住宅は全て撤去されました。仮設大橋団地跡地の市有地部分には、県有地との境に寄せて「大橋保育所」が建設され、2026年度から開園しました。

 

仮設大橋団地跡を背に筆者(山崎 信哉)
画面中央に新築した大橋保育所、手前荒地は県有地部分
(2020年4月12日撮影)

 

仮設大橋団地跡地に建設され、
2026年3月に開園したばかりの大橋保育園

 

視察を終えて、改めて自然や人間の力について,色々な観点から強く認識し、両者にとって調和のとれた道を探し続けなければと感じました。2026年4月1日より、BHN宮城事務所は2026年4月1日より待機となりましたが、活動一時休止中もそれぞれの心身の健康調和を図り、再開を約束して散会となりました。

 

 

2026年4月24日
BHN宮城事務所 山崎 信哉

 

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