13年間を振り返って
2026年4月27日(月)10:10
BHN宮城事務所 石垣 正一さんからの現地レポートをお届けします。
東日本大震災から15年経過、BHN宮城事務所は、2026年4月から「待機事務所」となり、これまで使用してきた書類等を整理しながら、あれこれ思い出しました。
2013年3月、BHNから声をかけていただき、2013年4月、第2代BHN宮城事務所・所長になりました。それまでは、第2の職場でNTT通信設備等の震災復旧作業等を行っており、ここでの経験が仮設住宅団地集会所に「光回線」、「無線LAN」等通信設備の設置工事役務に役立てればと思いながら取り組み始めました。
宮城県石巻市、東松島市、女川町、南三陸町等の仮設住宅団地を訪問し、自治会長・責任者等と面談、インターネット設備導入等の要望があった仮設住宅団地は、28カ所(石巻市20カ所、東松島市3カ所、南三陸町5カ所)で、2023年4月19日石巻市仮設大橋団地集会所への「光回線」「パソコン」、「プリンター」、「無線ルーター」の取付け工事を皮切りに、順次設置工事を実施していきました。
また、電力系光回線を使用している仮設住宅団地自治会等では、パソコン貸与要望のあった4カ所(石巻市1カ所、東松島市3カ所)には、「パソコン」、「プリンター」を貸与しました。
毎月1回程度の「巡回設備点検」、「パソコン教室」、「お茶っこ会・安全体操」等も順次実施しました。仮設住宅団地自治会役員からは、行政との連絡がスムーズになった事、回覧文書作成・配布物印刷等が大変容易になったと感謝されました。
住民の方々からは、「お茶っこ会」で「みんなと久しぶりに話した」、「元気をもらえた」等々、たいへん喜んでいただき、私達もやりがいを感じながら取り組んできたことが思い出されます。現在は、災害復興住宅団地や個人で新築された住宅にお住まいで、皆さん、元気にお過ごしの模様で安心しております。
2026年3月23日、山崎 信哉氏、丹野 あきゑ氏、生良志 みきゑ氏と4名で石巻市と女川町の被災地を巡り復興状況等の確認をしてきました。
まず、高台に立地する北上地区「にっこり復興団地」へ行きました。平日なのでひっそりしていました。次に、震災遺構「大川小学校」(児童74名、教員10名が犠牲)、雄勝地区震災慰霊公園「雄勝病院慰霊碑(入院患者40名、医師・看護師24名が犠牲)」を訪問しました。何度訪問しても涙腺が緩みます・・・合掌。

震災遺構 大川小学校門前
(2026年3月23日撮影)

震災遺構 大川小学校慰霊碑前
(2026年3月23日撮影)
雄勝湾を臨む「道の駅硯上の里おがつ」で高い防潮堤を見渡しながら一休みしました。

雄勝町震災慰霊碑から雄勝湾を臨む
(2026年3月23日撮影)

「道の駅 硯上の里おがつ」から雄勝湾を望む
(2026年3月23日撮影)
その後、離島女川町出島に2024年12月開通した出島大橋を渡り、出島漁港へ行きました。遠くに停止中の女川原子力発電所が見えます。

女川町出島にて、2024年12月開通した出島大橋をバックに
(2026年3月23日撮影)
それから「道の駅おながわ」で昼食後、震災遺構「女川交番」付近の散策や「女川町地域医療センター(旧 女川町立病院)」から復興した女川湾を眺めてきました。

震災遺構 倒壊した女川交番
(2026年3月23日撮影)

高台にある女川福祉センターから女川漁港を望む
(2026年3月23日撮影)
最後に、石巻市大橋仮設団地のあった場所へ移動し、山崎信哉氏(元仮設大橋団地自治会長)から当時の状況等を説明していただき、当時を思い起こしながら北上川堤防で写真撮影後、解散しました。

旧北上川右岸堤防から大橋仮設住宅跡を望む
(2026年3月23日撮影)
東日本大震災から15年、復興を実感した一日でした。しかし、この原稿を書き上げ、今晩送ろうとしていた矢先、2026年4月20日16時52分、三陸沖震源M7.7の地震発生、津波警報発令され5都道府県で避難指示が出ました。
津波による人身被害はなかったことは幸いでしたが、養殖産業への被害はありました。気象庁は2026年4月20日夜、巨大地震発生の確率が高まったとして、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を発表しました。2025年12月以来ですが北海道・三陸沖後発地震の発生が「ない」ことを祈ります。
現在、「南海トラフ巨大地震」、「首都直下地震」、「富士山噴火」、「日本海溝・千島海溝沖巨大地震」等々の災害が想定されていますが、全部「ない」ことを祈っております。
BHN宮城事務所 石垣 正一
