湯浦川に想いをよせて ~濁流の川そして靜かなる川へ~

2022年2月10日(木)17:06

 

 

BHN 熊本事務所 湯治 清さんからの現地レポートをお届けします。

さざんかの花も終わり、梅の花がほころび川岸には水仙の花が咲き暦の上では立春を迎えた。悪夢の令和2年7月豪雨災害から間もなく2年となる。

あの日濁流が荒れ狂った湯浦川(ゆのうらがわ)は何事もなかったかのように静かに流れている。自然の摂理、潮の干満にも変わりはない。満潮時には、市街地付近まで潮が満ちて湖面のような風景になる。丁度、湯浦北区は海水と淡水の合流地点である。

川底の掘削工事もほとんどの箇所が終わり綺麗に整地された。家屋解体や復興事業が早く進んで大変ありがたい。工事中は重機作業で濁り、汚泥水が魚の生活環境を大きく変化させ、魚たちは呼吸困難だったに違いない。

 

建設工事中の西回り高速道、湯浦温泉大橋から湯浦を望む
(2013年4月21日撮影)

 

昭和の湯浦川は海の幸、川の幸に恵まれていた。海苔やアサリ貝、ハマグリ貝、海の魚サヨリやスズキなど、川の青海苔やシジミ貝、エビ、鯉、小魚など多種多様な生き物が豊富だった。早朝、生からいも[i]と網と糸を持ってエビ捕りによく行ったものだ。満ち潮に乗って泳いでくるサヨリを川岸や橋の上から釣り糸を水面すれすれに流し、いっぱい釣ったものだ。

現在は、鯉、ボラ、フナ、スズキかスッポンしか見当たらない。アサリ貝も少なくシジミ貝はほとんど採れない。海や川の恵みがなくなることは寂しい。大雨だけが原因ではないが、色々な環境汚染の結果からだろうか?

 

春を待つ湯浦川 (2022年2月9日撮影)

 

それでも、湯浦川に大きな鯉たちが帰って来てくれた。赤白黒黄色の元の鯉たちである。本当に嬉しく深く感激した。荒れ狂う激流の中、どこに避難していたのだろうか?護岸は人間の都合で作られているから避難もできないのに、手足もないのにどのようにして命を守ったのだろう?そして再び元の故郷に帰る愛郷心はどこに秘められているのか不思議である。多分、大海まで流されずに、どこかの澱みで共に体を寄せあい尊い命を守り、再び里に帰って来たのかもしれない。

 

湯町橋の鯉さん、癒しをありがとう! (2022年2月10日撮影)

 

災害時の「命を守る知恵、強い覚悟、確かな行い」を鯉たちが教えてくれた。必ず来る自然災害に、私も備えをしておきたいと思う。

 

令和4年2月11日

BHN熊本事務所 湯治 清(83歳)

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[i] 熊本県のさつまいも

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