10月:宮城県東松島市における被災者の地域コミュニティ支援事業

2012年12月10日(月)19:40

 

被災地は、震災から2度目の収穫の時期を迎えました。

東松島でも、稲刈りが終わった水田には、切り株が整然と並んで残されていました。また、塩害で作付さえできなかった水田には、セイタカアワダチソウが黄色い花をつけて風に揺れていました。水田の中には、除塩をして作付けをしても、実らなかったところもあるそうです。

事務所周辺も、津波で2メートルほど冠水した地域です。近所の方が、花壇の花も、何度も何度も水をやってやっと咲いた、と話していました。海岸からの距離や地形のほんの僅かな違いが、明暗を分けたようです。

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明暗を分けたと言えば、宮戸(みやと)島があります。ここは当会が支援する地域です。

大小260余の島々が浮かぶ松島湾の東端の島で、室浜、大浜、月浜、里浜の4つの大きな集落があります。この度の震災で、石巻湾に面した室浜、太平洋に面した大浜、月浜は壊滅状態となりました。一方、松島湾に面し宮戸島が防波堤の役目をした里浜では、浸水以外はほとんど被害がありませんでした。

この夏、その宮戸島の「奥松島縄文村歴史館」の観光案内が、東京の山手線のトレインチャンネルで流れていました。宮戸島は6000年前の縄文時代から人が住み続けているところで、大きな貝塚をそのままの形で見ることができることでも有名です。

津波で住民の居住地域は大きな被害を受けましたが、貝塚には被害がありませんでした。これは、貝塚は標高の高いところにあり、冠水を逃れたからです。古代の人々は、津波を警戒して仕事場と生活の場を分けていたのです。

ワークショップの様子2 地面沈下で、満潮時には道路が冠水

被災者用の仮設住宅は、浸水した地域に建てられた室浜、月浜と小高い場所にある宮戸小学校グラウンドの3か所に設けられています。8月には歴史館の隣に仮設の市民センターが完成し、地域の方々の集う場として活用されています。当会はここを拠点にして、インターネットで地域の復興目指す支援活動を行っています。

住民の多くは漁業を営んでいます。

復活し始めた松島湾の牡蠣養殖は、この夏の猛暑で、稚貝の7割が打撃を受けました。それでも10月には、再開した月浜の養殖海苔とあわせて収穫期を迎えることができました。そのため、当会が主催するパソコン講座の参加者は半減してしまいました。しかし、パソコンを購入して、ブログで島の現状を知らせたいという人が現れるなどで、復興に向けた意気込みが伝わって来ています。

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今月は、事務所の全面開放、11月に行う予定の“今年はパソコンで年賀状を作ろう”イベントの準備と広報活動が中心となりました。

パソコン講座は、毎週7ヵ所で開催し、参加者は週平均で42名を数えます。

残念なのは、在宅被災者が多い地域に設けられたコミュニティカフェの閉鎖が決まったことです。住民が集う機会になればと、ここでパソコン講座を開催していましたが、場所を失うことになりました。

事務所のインターネット環境は、中旬から、地域の皆さんに開放しています。

最初の来訪者は、20代の男性でした。就職が決まったので、着任前にパソコン操作法の確認をしたいというのがその理由でした。その他は問い合わせに来た1名、見学者が2名でした。

東松島市矢本字関の内108です(Tel:0225-24-8427)

仮設住宅団地や在宅被災者居住地域など、新しい共同体に育ちつつある住民の自治会組織の活動も、順調な地域、まだ途上にある地域と様々です。順調に活動している地域では、インターネットを活用した外の社会との交流も進んでいます。

当会の事務所も、人々が集う場所に育てたいものです。

>>9月の東松島支援事業の報告はこちら

 

石巻周辺被災者支援事業担当

 

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