【その先の未来へ】南三陸町のいま

2022年3月28日(月)13:04

 

 

BHN宮城事務所 阿部 真司さんからの現地レポートをお届けします。 

2011年3月11日14時46分、それは突然襲ってきました。今まで経験したことのない揺れに立っていられず、その辺にあるものにしがみつくことしかできませんでした。

その後、けたたましいサイレンの音に気付き、その場から逃げるのに必死でした。数十年続いた家業の釣具店が枯れ葉のように濁流に呑まれる様子を目の当たりにしたとき、愕然としたことを覚えております。

そんな南三陸町(みなみさんりくちょう)は宮城県北東の沿岸部に位置する小さな町で、志津川湾(しづがわわん)を囲む地形となっています。南三陸に降った雨水のほとんどが志津川湾に注ぎこみ、自然の恵みを活かした養殖漁業が盛んな地域で、湾の中では牡蠣やホタテ、ワカメやホヤが養殖されています。

 

普段はとても穏やかな、釣り客にも人気がある南三陸志津川湾
(2022年3月19日撮影)

 

2011東日本大震災から12年目を迎えた南三陸町は、少子高齢化や人口減少なども深刻化しており、震災前の人口は18千人程が住んでいましたが、11年後の現在は12千人程度と3割ほど減少しており、歯止めがかかりません。

そうした中、志津川地区「さんさん商店街」の隣接地では、「南三陸町震災伝承施設〈南三陸311メモリアル〉」の建設が進んでおり、「道の駅さんさん南三陸(みちのえき さんさんみなみさんりく)」と共に2022年秋の開業予定で、誘客の期待に胸を膨らませています。

 

南三陸町志津川のシンボル、キラキラ丼で有名な、さんさん商店街
(2022年3月19日撮影)

 

また、2022年1月に発生した南太平洋・トンガ沖噴火による津波で、沿岸15市町で唯一、避難指示を出さずに乗り切ることができ、震災後の復興に時間は要しましたが、全世帯が高台に移転し安全安心な街が完成したことによる効果ではないでしょうか。

 

東日本大震災の被災者が暮らすため、新たに高台に建設した町営志津川東復興住宅
(2022年3月19日撮影)

 

東日本大震災は多くのものを奪いましたが、同時に多くのことも教えてくれました。世界中の人々のあたたかい心、津波のあとも当たり前のように再生される自然、郷土の中で継承されてきた人々の生業や暮らし等、この地域に当たり前にあったものすべてが、貴重で価値のあるものだと改めて気付くことができました。

ここ南三陸町では、すべてを失っても未来に力強く前進する町民の生きる姿がここにあります。

 

志津川湾をやさしい眼差しで見つめるモアイ像(サンオーレ袖浜海水浴場)
(2022年3月19日撮影)

 

BHN宮城事務所 阿部 真司

 

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