震災の記憶とともに生きる:南三陸町の14年

2025年3月11日(火)13:16

 

BHN宮城事務所 阿部 真司さんからの現地レポートをお届けします。

 

東日本大震災から14年。私たち南三陸町の住民にとって、この年月は決して短いものではなかった。あの日、町は巨大な津波に飲み込まれ、家や商店、大切な人々を一瞬にして失った。震災直後は、悲しみと絶望の中で、ただ生きることで精一杯だった。しかし、それでも私たちは歩みを止めなかった。震災を乗り越え、町を再生させるために、一歩ずつ前へ進んできた。

町の象徴の一つとなっている「防災対策庁舎」は、震災の恐ろしさと教訓を今に伝えている。

庁舎は鉄骨だけを残して津波に流され、多くの職員が命を落とした。あの日、最後まで無線で避難を呼びかけ続けた女性職員の声は、今も私たちの心の中に生き続けている。「大きい津波です。皆さん逃げてください。」その言葉は、命を守るために最も大切なことを私たちに教えてくれた。この庁舎を見るたびに、震災の記憶がよみがえり、改めて防災の意識を高めなければならないと強く思う。

 

「過去を刻み、未来を守る。」震災遺構 防災対策庁舎  撮影日2025/3/15

 

一方で、南三陸町の希望の象徴ともいえるのが「さんさん商店街」だ。震災で町の商店が流され、多くの人が生活の糧を失った。それでも、「町をもう一度元気にしたい」という思いのもと、商店主たちは立ち上がった。最初は仮設の小さな商店街だったが、2017年に現在の商店街が完成し、今では町の賑わいを取り戻しつつある。観光客の方々が訪れ、地元の人々が集う場所になったことが、私たちにとって何よりも嬉しい。あの震災を乗り越えたからこそ、この温かい交流がどれほど貴重なものかを実感している。

震災の記憶は決して消えることはない。しかし、私たちはその記憶に縛られるのではなく、そこから学び、前へ進むことが大切だ。防災意識を持ち続け、避難経路を確認し、次の世代に震災の教訓を伝えていくことが、未来の命を守ることにつながる。私たち南三陸町の住民が経験したことを伝え続けることが、震災で亡くなった方々への最大の供養であり、この町をより強くする道だと信じている。

私たちは震災を乗り越えた町の住民として、これからも強く生きていく。そして、町の未来を築くために、希望を持って歩み続ける。震災を乗り越えた南三陸町は、悲しみだけでなく、希望と未来を持った町なのだから。

 

「想いを越え、新たな一歩を。」さんさん商店街  撮影日2025/3/15

 

BHN宮城事務所
阿部 真司

 

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