ネパール大地震被災者支援初動調査報告1:ネパールに到着、被災状況調査開始

2015年5月8日(金)13:31

 
4月25日に発生したネパールにおける地震被災者支援の初動調査のため、5月3日(日)にネパール入りした3名から、現地初動調査の様子を数回にわけてお伝えいたします。

5月3日(日)0:25羽田を出発し、バンコク経由でカトマンズ空港に5月3日12:25に到着した。

バンコクーカトマンズ便(TG319)はミャンマーやマレーシアなど外国からの救援隊も乗機していたものの予想以上に空席が目立った。従って入国審査や、荷物取り出し、空港内換金、現地携帯用SIMカード購入なども比較的スムーズにできた。

航空機の窓からカトマンズに近づくにつれ山崩れの痕跡がいくつか認められたが、空港からホテルまでの市街地では家屋やビルの倒壊は見当たらなかった。しかし、被害の大きかったのは地方部であり、また、市何の建物が大きな損害を受けていないように見えても、亀裂が入って住めなくなっているものが多いという。

翌日から、カトマンズ市内及び近郊の被災状況調査を行った。

1.パタン・ダルバール広場(Patan Durbar Square)

地震発生と同時に世界遺産の2寺院が完全に崩壊、3、4の寺院の屋根が壊れ、亀裂が発生するなどして、100人以上の観光客が亡くなった。

現在はネパール軍が瓦礫の後かたづけにあたっており、貴重な文化的価値あるものを選り分けている。

エリアを囲む建物にも多くの亀裂が認められた。近くではテントが張られ、危険のため閉鎖された警察署横では水の配給が行われていた。

 

2.バクタプル・ダルバール広場(Bhakutapur Durbar Square)

この地区にも世界遺産の寺院が数多くあり、有名な観光スポットになっている。今回の地震でこの地区だけでも235人が犠牲となった。

訪問時、宗教関係者により、食事の配給が行われていた。この地区のボランティアが協力しており、列も乱れることなく驚くほど静かだった。

この周辺だけでも5つの避難所(テントを張っただけのキャンプ)が現在も開設されている。

最初に訪問した避難所は学校の校庭にテントを張っている場所で、避難民は735名(男性235、女性270、子供143、老人 87)。この避難所のリーダーによると、キャンプの設営は地域の農民、観光ガイド、ビジネスマン等の若手により、自然発生的に行われている。

リーダーとの意見交換で食事配給などの案内や、携帯の電源充電設備がなく不自由とのこと(ソーラーパネルを有した街灯が校庭の回りに10メートルおきくらいに設置されているが、コンセントの数が少ない)。そこで手短に今回訪問の趣旨とBHNが過去に緊急支援で提供したCAサービスを説明したところ、好意的な反応が返ってきた。このキャンプにいる被災者は皆、家が全壊しているので、キャンプ生活を当面続けざるをえないだろうとのことだった。

次に訪問した避難所は、密集した路地を上がった小高い場所にある学校の中庭にあり、途中、崩壊した住居建物を数多く見た。現在は9家族45名が生活をしており、最初に訪問した避難所と同じく地域の若者が運営を仕切っていた。当初は余震を恐れてテントに寝泊まりしていたが、今は、建物の強度が確認されたので、教室や屋外倉庫のようなところに移ったという。

 

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