インタビュー:古野間 計久氏

BHN人材育成プログラム

1回入ってみたら「これは素晴らしいけど大変な事をやっていらっしゃるんだ」なって。       〜 インタビューより 〜

 

Q:最初に今までの経歴を教えてください

一橋大学の経済学部ですけれども、私自身はバレー学部の出身と思うくらい、大学ではバレーボールに打ち込んだという事しか学生生活の記憶は残ってなくて、学問的には相当に厳しいゼミだったんですが、何やった?っていわれると全く何をやったっていう記憶が無いくらい、大した勉強もしていませんでした。バレー部に入って。関東には関東のバレーボールリーグ3部の中で結構頑張っていました。強いと思ったし、全日本インカレではなんとベスト16位まで行ってるんです。我々一年生の時ですね。
海外(国際)での仕事がやりたいということで、当時の海外ビジネス企業さんの門を叩いた中で、当時は外国向けの専門銀行としては日本で唯一の銀行でした東京銀行に入りました。結婚してもずっと大学の監督と、銀行の現役選手(主将)をやって家内から大ひんしゅくを買っていたんです。ようやくニューヨークに転勤命令が出てそこで離れたという感じです。
ニューヨークでは仕事の関係で電電公社さんから来られた上原さん(後にNTTからBHNの理事長になられた)机を並べて仕事をする時期があり、しょっちゅう「麻雀人数たりないけども」て、声掛けられて行くとコテンパンにやられてました。麻雀・囲碁に強い方でね、仕事も大変熱心にやる方でしたね。上原さんがお帰りになられてからは後にテニス仲間となる水渡さんが来られました。
その後、ロサンジェルスやアトランタ支店長を経て、退職して国際石油帝石に入って。これが15年間国際石油帝石の開発第一線で、文字通りエクソンモービルやシェル等の大手と一緒に海外のプロジェクトをやっていました。最初経理子会社何社かの経理担当からスタートして、会議に出て自分たちの主張をできる責任者をという事で、常務取締役利益事業本部長っていう責任者を任されて。こんな事務屋さんが。勘違い人事だったんだと思いますね。石油って何も分かんないまま入って実際にやってみると、これはもう銀行と全く違う業界でした。

Q:BHNに入ったきっかけを教えてください。

ニューヨークで知り合った水渡さんから日本にいるときに古野間さんテニスやろうっていわれて、「ハット会」という信澤さん(元BHN理事長)が中心になったテニス仲間の会に誘ってくれました。BHNの片岡さんもメンバーだったんです。「私のテニスはがさつなテニスで、バレーのサーブとおんなじでサーブの時はボカンって打つけど後はがさつだから」って言ったんですが楽しく参加して、そこで信澤さんとも面識ができたんですね。ある日水渡さんに誘われて成城学園奥の学園にコートに出向いていったら、信澤さん(元BHN理事長)がニコニコ近づいてきて、「古野間さん退職したんだって?」って言われて、「BHNって関心が有ったけどまぁ~暇ですからね」っていう受け答えをしたと思うのです。たまたま水渡さんが「BHNって上原さん理事長ですよね?」っていう話になり、信澤さんも「え?古野間さん上原さんご存知?」、「もちろん知ってます」って言ったところ、「ちょっと今度食事しようよ」って言うことになったんです。新百合ヶ丘のレストランで信澤さんと上原さんと食事したとき、「月曜日遊びに来ない?」って誘われ、月曜日のBHNの定例会に参加したら「じゃ~ずばり人材育成のプロジェクトをやってくれない?」っていうことになって。
BHNにご厄介になるヒストリーのルーツはニューヨークにおける上原・水渡というキーパーソンと、なんと信澤さんと繋がっているという人関係が濃い、逃れられない運命だったんですね。
私はリタイヤしたらこんなことやりたいなっていう事が沢山有ったんですけれども、1週間に2回位なら丁度良いかって思って、「人材育成って何ですか?」、「人材の育成というのはこちら側がしっかりしていないと育成にならないんで、駄目です私はそんな柄じゃない」と言ったんですが、「そんなこと言わないで」と寄り切られたのがBHNへの境界線を一歩踏み出したきっかけでしたね。1回入ってみたらこれは素晴らしいけど大変な事をやっていらっしゃるんだなって思いますね。

Q:研修生の受入人数は?

6年間で通算70名弱受け入れましたね。リーダー育成というのは、要するにボトムをサポートすることと違うわけですから、やりがいがありますが。
実際の状況は自分で見た方が良いなとおもって全部の講義は聞くようにしています。傍聴して、何かあれば意見をして、ってやっています。講師の方も、頼まれたときには「お忙しいところよろしくお願いします」って頭下げられるのに、講義の際はBHNの人が誰も居ませんでしたじゃ~寂しいんじゃないかなと思うんですよ。
講師の方も、朝早くからご自宅を出て来られるわけでしょ?その中、遅れて「いやいや失礼しました」っていって入っては行けないですよね。むしろ迎えなければならない。

Q:生徒と講師の方の間に立つつなぎの役割、橋渡しは難しい?

難しいというよりそれは必要な一つの潤滑油みたいなものだと思いますね。
一方的な講義ではなく、質疑応答を活発にしても良いんだよ、と研修生には言ってるんですけども、やっているとお互いの言っていることが噛み合っていないこともあって、そういう時に「あなたが言いたいことはこういう事?」ってちょっと軌道修正してあげたりしていますね。国によっては英語の癖が強くて聞き取りにくく、結局自分が聞き取れた数少ない英語を聞き取って分からないながらもなんとか講師とのつなぎ役をやっていますね。
「先生の英語のスピードに生徒がついていけないかも知れませんよ」「前回の話をレビューした時にもっと生徒との会話のウェイトを多く割いていただけると有難いですよ」と言ったりしてます。講師は「自分の用意して来た物を全部話したいから、その後での質疑応答だよ。」と思うのですが、90分間の80分間を自分で使っちゃうから、質疑応答となると殆ど時間がない。ってなるんですよね。

Q:趣味の話を

最近は趣味はほとんどできていませんね。ゴルフは肩の不調で最近やっていませんが。歌う事は何処でもできますんでね。歌うジャンルは色々です。井上陽水とか三橋美智也とか、五輪真弓、布施明、小田和正(キーがよく似ていると思います)。平井堅もいいですね。コーラスグループにいたりしましてね。歌にもよりますけれども吉幾三だとか、一応、私は大きな声では言いませんが日本民謡からビートルズまでと言っています。
現在進行形の趣味にしているのは勝手に歌えますので、民謡で新曲を覚えている最中です。佐賀県の「たん笥長持ち歌(嫁入りの歌)」。これを有田焼人間国宝の井上万里さんの会が年に一回あって、二年越しで古野間君謡ってという事になっています。島根県の隠岐ノ島に学生時代旅行に行って、この地元の民謡って何かありませんかって、船頭さんに聞いたら、ずっと海岸線を移動してもらいながら、船頭さんから「しげさ節」という曲を直々に教えてもらった記憶が有りますね。私の民謡と本当の民謡歌手の歌い方って違うと思うんです。本格的な謡い方をやると他の曲が歌えないんじゃないかって思うんですよね。発声法とか声を元気に出すためにほぼ毎日、ボディーとレーニングで腹筋背筋をやっています。声を出すためには体をきちんとメンテナンスしていないとね。

(焼き物はどうですか?)
有田焼をちょこっと見ていますけど、あまり入れ込むほどじゃないですね。
だけどね、この間、中道育代さんのピアノリサイタルがあって、サントリーホールでね。そこの広場でなんとなく瀬戸物とか売られている所を見てしまったら家内が、「これ見てごらん」て興奮していたんで見たら、一枚のお皿を指さすんです。これいくらだと思う?って言うから見たら14,000円なんです。普通の料理で出てくるお皿が。「これ見たことあるじゃない?」って言ったら。「そうよ。我が家にはこのサイズが4枚とそれより小さなサイズが6枚あるのよ。それが一枚だけで14,000よっ。」て言うんですよ。それはニューヨークの時代にアラビア社か何かのブルーの濃いお皿で、買って家に有るんですよ。「今は絶版でたった一枚でも貴重です!」ってうちに有るのを知らないで売り手の方が勧めるんですが、家内は話を聞きながら耳打ちで「うちに有る」って言って気を良くして他の物を買ってしまって。というわけで、焼き物は趣味とはとても言えません。

Q:ご出身はどこですか?

“生まれは葛飾柴又” の産院で産まれてすぐ家にかえったんですが、両親は母が東京だけど父が新潟。で、母の先祖が岐阜ですかね。父の実家の新潟には何回か行きました。蒸気機関車に乗るのが楽しみで、亀田で降りて阿賀野川上流に上って行くところですね。食べ物も美味しいしお米も美味しいし。

(大空襲には遭わなかったんですか?)
郊外に居ましたのでね、水田地帯で近くに日立の工場が有ってそこはやられたらしいんですけどね
うっすらと防空壕生活を覚えている気がしますね。食べる物は畑が有ったので、夏なんか良く育つからソラマメなんか沢山作るわけですよ。だから同じものずっと食べさせられるので、お蕎麦なんかにソラマメがのっても、しばらくの間ソラマメは絶対手を付けなかったですね。
サツマイモは有る限定されたやり方でなら食べるけど、焼いたり煮たりはあんまり手を出さない。しょっちゅう出てきたような気がするんですよね。量増しするためにサツマイモをころころ切ってご飯に混ぜるんですね、ご飯の中にというよりサツマイモにご飯がポロポロっと付いてるというご飯もありました。毎日出ると、またか~っていう気持ちになる。子どもながらの贅沢ですよね。

(せめてごま塩掛けたいなと思いますね。)
ごま塩は贅沢ですよ(笑)
よく家内には耳にタコだっていわれるんですけども、今でも私の御馳走は、かんぴょう巻とか卵焼きです。

古野間さん有難うございました。

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